トップページ お問い合わせ 会社概要

京焼清水焼の偉人達


京焼は、土にこだわらず土地に拘束されない不思議な陶磁世界です。
市街地からは窯の煙が全く途絶え、仁清や乾山の窯跡からの発掘陶片などもごくわずか、東山一帯の古窯も確認できたものは少ないし、何だか夢のようでもあります。そこが京焼の京焼たる所以なのかもしれません。

ここでは、現在の京焼職人が今でも尊敬と憧れを抱く4人の「京焼のスーパースター」をご紹介します。

野々村仁清(ののむらにんせい)

野々村仁清作「色絵鴛鴦(おしどり)香合」はあまりにも有名です。本物は「大和文華館」に収蔵されています。限りなく近づきたい、仁清に敬意と憧れを抱きつつ作陶しました(左画像)。

野々村仁清・・・

京焼色絵陶器の完成者。文献では、1648年に御室焼(仁清焼)として初めて登場する。丹波国桑田郡野々村(京都府美山町)の出身で、元は丹波焼の陶工であった。粟田口を中心とする京焼がようやく盛んになり始めた頃、御室仁和寺前に窯を開いた。

仁清は、ろくろの名手として知られているが、京焼のスーパースターらしく釉法も多彩で、色絵の他、黄瀬戸・織部・唐津・信楽などの国内のやきものの手法をマスターし、天目・呉須・伊羅保・刷毛目などの中国陶磁、朝鮮陶磁の釉法にも精通していた。

その華麗で雅かな仁清の色絵陶器登場後、京焼の作風が大きく変化していった。特にその影響を強く受けて江戸初期から中期にかけて、東山山麓の各窯で「古清水」と呼ばれる色絵陶器が制作されることになる。


尾形乾山(おがたけんざん)

同じ草花意匠でも、鍋島焼の完璧な様式美に比べ、乾山は屈託のない筆さばきが伝わってくるようで、ぬくもりを感じさせます。また、琳派芸術の中でも草花意匠は主要な部分をしめています。琳派風、乾山写しは現代の京焼に数多く見られます。

尾形乾山・・・

京都の呉服商雁金屋の三男、兄は有名な尾形光琳、曾祖母は数寄者本阿弥光悦の姉にあたる。光悦の孫にあたる空中斎光甫や楽一入に作陶の手ほどきを得たこともあり、1699年、仁清より陶法の伝授を受け、右京区鳴滝泉谷に開窯した。この窯場は市中の乾(西北)に位置することより乾山焼と名付けた。

乾山は、仁清の陶法を総合的に継承するとともに、王朝古典・漢画的主題を陶画に表現し、また琳派風のデザイン感覚に秀でたやきものを制作。生き生きとした筆使いや構図の巧みさ、色彩感覚の絶妙さに乾山の作品の特徴があり、意匠化された梅や菊など独自の文様が多くみられる。

そして、兄尾形光琳絵付のやきもの、乾山自筆詩歌のやきもの、欧風のやきものなど、独創的な作陶世界を京焼に展開した。


奥田頴川(おくだえいせん)

頴川といえば「呉須赤絵」が有名ですが、その凛として完成された作品に松斎窯の職人が挑戦しました。熟練の手描きの技が冴える逸品に仕上がっています(左画像「呉須赤絵蓋物」)。

奥田頴川・・・

本名を頴川庸徳(1753?1811)といい、祖先は頴川郡(現中華人民共和国河南省)の出身。京都で代々質屋を営んだ。頴川も三十代まで家業を営むが作陶を志し,建仁寺内に開窯。

頴川といえば、京焼最初の磁器焼成大成者であり、京焼中興の祖。また、彼の門下から青木木米を初めとして、数々の名工を輩出し伝統的な京焼の全盛がもたらされたことは彼の大きな功績である。

作風は、呉須赤絵の模様を得意とし、古染付や交趾焼を真似て巧妙で雅かな磁器を制作した。


青木木米(あおきもくべい)

祇園新地縄手白川橋畔のお茶屋「木屋」の長男として生まれる(1767?1833)。中国の陶技書「陶説」を読んで作陶に進み、奥田頴川に入門した。文人陶工と称され、煎茶器を主体に作陶をおこない磁器製法の芸術性をさらに深めた。

青磁・白磁・金襴手・交趾・色絵・南蛮写しなどのやきものを制作している。なかでも急須はその冴えた作風で評価を得た。